2月3日8時33分

みなさんこんにちは。
ひらたそうしです。

久々にブログを更新します。
ほんと何ヶ月ぶりでしょうか。笑

でも、書きたいなって思った出来事はちゃんとあるんです。
今日2月3日は僕の親友が亡くなった日。

バイトをしている時に親友のラインがピロリン。って。
珍しいなって思ったら「妻の〇〇です。」って目に飛び込んできた。
そらぁ、文章を見る前に単語で察した僕の脳と神経は
すかさず目から大量の涙を放出しておりました。

感情ってすごいっすよね。

その時の僕はバイト先にいたので、ちょっと気不味いと思いつつも、溢れ出る涙を止めることはできませんでした。
バイト先の先輩に「無理しないで帰って大丈夫ですよ」って気遣ってくれたけど、そんなわけにもいかず、そのまま働かせてもらったりした思い出。

だからその時、磨いてた金属のこともすごい鮮明に覚えています。
#金属を磨くバイト
#天職みたいなバイト
#手は器用

はい、話がそれましたが、話を戻しますね。

親友は僕が勤めていた病院の一つ下の後輩で、たぶん実習の時からいたような?
年齢は僕と一緒で、趣味も似てたからすぐに意気投合した。
とはいえ、キャラクターは全然違うくて、僕の真逆までは言わんけど、簡単に言ったら陰と陽のような感じ。
とにかく陽気で人を惹きつける天才だった。

そうそう、笑い方も独特すぎてサンマさんの引き笑いとかではないけど、
「あっあっあっあっっっぁぁっ」みたいな。文字にできない笑い方なんだけど笑
その笑い声がどこからともなく聞こえてくるだけで、あいつ出勤してるぞってわかるからなんか安心してた。

本当に太陽のような存在。
シティハンターの主人公みたいな感じかな。
隙あらばふざけて、誰よりも率先して下ネタ言ったり、ふざけて周りの人を笑わせる姿も懐かしい。
でもその反面、誰よりも自分に真っ直ぐでチャレンジするって決めたことには納得するまでやる人だった。

気がついたらJAPANって書いてるTシャツを着て、「俺トライアスロンに出る」って練習始めたり。
スイミングの練習や毎日走ったりする姿見ながら「こいつ、ほんとすごいな」って感心したものだ。
音楽もトライアスロンも、デイサービス事業の管理者も、全部全部本気でやってた。

そんな彼と一度でもいいから一緒のフロアで仕事がしたかった。
喧嘩したと思うけど笑

彼とは大体いつも一緒にいたんだけど、年齢を重ねるごとに
お互い役職がついたり、地方勤務が増えた彼とはどんどん会話する機会は減っていった。

たまに帰ってきて廊下で会うことはあったんだけど。
ほんとすれ違い様にちょっと話す程度。

でも話す内容は決まって「最近どう?」「まぁまぁかな」
これの繰り返しで、AIよりAIしてたと思う。笑
でもそれでよかったんだけど

そんな彼がいつものように「最近どう?」って聞いてきた時に
「俺さ、健康診断でさ変なのが出ちゃってさー」「また検査せないかんっちゃん」と。
珍しく元気のない翔太。
「大丈夫とやろー?」と聞くも、「オペせないかんかもー」と少し濁す彼。
彼がオペした後「オペしたー。まじで痛かったわー。」とか言いつつ、詳細は聞けない僕。

僕もなんとなく判りながら確信については無意識的に逃げていたと思う。正直。

その後地方勤務が終了して帰ってきた時も、すれ違う時には「どうよ?」「まぁまぁかな」のやり取りばかり。
お互い踏み込んだ話はしなかった。

そんなことが続き僕も異動で他病院へ。
余計に会わなくなり、僕はそのまま退職した。

もちろん辞める時も違う病院だったので、挨拶もできずだった。
そして、病院を辞めて半年くらい経ったある日インスタのストーリーズに翔太からDMが来た。
それがこれ。

僕は本当に後悔した。
なんで遊びに行かなかったんや。と。
自分で言ったくせにだ。

この2週間後。
2月3日8時33分。翔太は亡くなった。

翔太が亡くなるなんてね。
思ってもいなかった。
そんなことがあるはずがないって思っていたし、翔太なら大丈夫よ。
と無責任なことを思っていたと思う。
ほんと現実逃避だったかな。

でも、彼は自分がキツかったであろうに、僕の訪問看護の話もよく聞いてくれてた。
今はどこまで進んでるの?いい感じ?とかたまにLINEをくれたりして。

そんな彼が亡くなって悲しくて仕方なかった。
でも、彼が応援してくれた以上に頑張らないといけないわけなのよ。

この訪問看護ステーションも彼がいなかったら立ち上げることもできなかった。
亡くなってからも人と人を繋げてくれたあなたに感謝していますよ。
ほんとに。

これからもまだまだ頑張りますからね。
待っとってな。

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